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祝ホンダF1復帰 [車の絵]

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1987年に朝日新聞社から出版された海老沢泰久著「F1地上の夢」を読み返した。モトGPで世界から認められたホンダが勝手の違うF1レースに参入し、試行錯誤の末にF1でも成功するストーリーだ。F1でホンダが常勝するようになると、ホンダに不利になるようなレギュレーションの変更が繰り返された。リーマンショックの影響があったにせよ、ホンダが当時F1レースを降りたことは正解だったと思う。そして低燃費高次元のレギュレーションでF1の新時代が始まる今年、ホンダがF1に復帰した。技術のホンダの面目躍如となるか、またF1が面白くなる。
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赤いトヨタ2000GT [車の絵]

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 久々に車のイラストを描いて気づいたが、細かい線が描きづらくなった。少し乱視が入ってきたのかもしれない。

 私は未就学の頃より、子供だけで映画館によく出入りしていた。子供たちがお金を出し合ってガキ大将一人分の入場券を買い、幼児は無料だったのか、ドサクサ紛れだったのか、全員映画館に入ることが出来た。その時分はチャンバラ映画の全盛期だった。
 中学生になったある日、友人と映画を鑑賞していてスクリーンがぼやけているのに気づいた。映写のピントが合ってないのに誰も文句を言わないのが不思議だった。
 高校生になって自分が近視になっていることを認めたが、見た目を気にして眼鏡を作らなかった。授業中、後方の席から黒板の字がよく見えなかったので、成績は最悪だった。
 高1の春休みに自動二輪の免許を取った時、免許証に「免許条件、眼鏡等」と記載された。
 高3の秋に普通免許を取るために、受験勉強を放り出して自動車学校に通った。必要に迫られてコンタクトを作ったが、検定試験のとき以外は裸眼で運転した。
 社会人となってから仕事に支障をきたすといけないので初めて眼鏡を作った。以来、ボシュロムのソフトコンタクトや眼鏡に相当お金をつぎ込んで来た。
 五十代になって少し遠視が入ってきたのか、書類に目を通す時は眼鏡を外したほうがよく見えるようになった。
 面倒なので遠視の度数ゼロの遠近両用眼鏡を作ったが、眼鏡をかけない方が多くなった。眼鏡を落としたり、踏んだり、踏まれたりして壊れては新調する事を繰り返すうちに、眼鏡をやめることにした。
 免許の更新の際、免許条件がなくなり、視力に自信を持った。
 若い時分に眼鏡の必要がなかった友人たちは今は遠視で難儀しているようだが、私は眼鏡から開放されて便利このうえない。
 ところが昨日、目が老化し、細かい線がはっきり見えなくなっている自分に気づく。もう描けるように描くしかないと諦めた。
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映画「栄光のルマン」に登場したポルシェ917K(1970年) [車の絵]

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ところで、私は30年以上朝日新聞のみ購読しているが、シェアしたい記事があったので紹介します。
 
平成25年10月19日朝日新聞コラム「経済気象台」より

「すっかり冷めた中国熱」
 中国の大企業トップたちが来日し、民間レベルで日中関係の修復へ動き始めた。
 中国の経済界が雪解けを急ぐ事情は簡単だ。製造業の場合、日本からの進出は止まっており、新規造成された地方の工業団地はがら空きだ。 数年前に進出した日系企業も、追加の設備投資は控えて、工場の買い手を探している。
 日系企業の本音はできれば撤退したいが、中国では、倒産するならともかく、撤退は難しい。「働く場がなくなる」と訴訟になるリスクがあるためだ。
 海外への投資を回収するのは、配当やロイヤルティー(のれん代)を得る方法などがあるが、回収は早くて
4年から5年、初期投資が大きいと、7、8年はかかる。
 アセアンから中国へと投資先が動いたのは2003年ごろからだった。 「やっとリターンを」と思ったとたん、日系の工場に対して、覆面をかぶった集団の略奪と破壊活動が行われ、当局もそれを放置してきた。
 しかも地方当局の「管理監督」が厳しくなり、稼いだお金を日本に持ち帰ることはとても難しい。
 タイやインドネシアなども進出に伴うリスクはある。 だが、どの国の企業にとっても同じだ。 「チャイナ・リスク」は別格。 日本企業のみが突然標的になる。
 「法の支配」は全てに平等だが、「党の支配」は恣意的であり、選別がある。 ここ1年、破壊活動を取り締まらない中国当局の姿勢に対して、日本の企業は学んだ。
 冷めた中国熱がもとに戻ることはないだろう。 ミャンマー行きの飛行機や、現地のホテルは日本人で満杯である。 日系企業の視線は、再びアセアンに向かっている。 (遠雷)


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モーガン4/4スポーツ [車の絵]

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証券市場が連日賑わっている。政府の円安誘導で景気は良くなってきているらしいが、我社の決算は惨憺たるものだ。構造不況の弱小会社の業績が回復するのはいつのことだろう。来年の春に消費税が引き上げられ、再び景気が落ち込むようだと我社の未来はない。4月に入って仕入品の値上がりが増えたが消費の落ち込んだ現状では売価を上げるわけにはいかない。物価が上昇すると借り入れ金利も高くなるだろう。溜息がでる。…いつか古い英国車に乗って、のんびり暮らしたいなぁ。
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PM2.5問題、中国なんとかしろよ!(1964マスタング・インディ500ペースカー) [車の絵]

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春の足音が聞こえる頃、私はいつも憂鬱になる。今年も嫌な花粉の舞う季節がやってきた。妻が私を気遣って、花粉症を軽減する鼻の穴に塗る薬、鼻の周りに塗る薬、それと目薬、を買ってきてくれた。3重のガードで今のところ具合はよい。花粉症は、人体に侵入した花粉(異物=アレルゲン)が許容量を超えると、コップの水が溢れるように、ある年、急に発症するそうだ。数十年前、私が花粉症を発症したときは、内科や耳鼻咽喉科を経て、漸く原因が判り安心するとともに花粉症との長い闘いが始まった。
 ところで、ここ数年、寒くなると、私は喘息のような空咳が出るようになった。肺の病気を疑い、ホームドクターの診察を受けるが、いつもマイコプラズマ肺炎と診断された。
 最近、中国の大気汚染が深刻化しており、特にPM2.5の微小な有害物質の拡散が問題視されている。
 私の住む北九州には確実に中国から有害物質が飛来しているだろう。最近PM2.5を気にして、洗濯物は室内に干す、窓は極力開けない、外出着はこまめに洗う、等の対策を採り始めたところ、私を悩ませた喘息症状が出なくなった。PM2.5は今に始まったことではなかったのだと納得した。
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フォルクス・ワーゲン1200ダブルバンパー [車の絵]

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今週の日曜日の夕食後、胃がもたれ始めた。4AMにトイレで用をたす。一時間後またトイレ。今度は下痢。体温37.1度の微熱。胸やけがするが吐き気はない。7AM体温38.2度に上昇。7:50AM下痢。9AM水便。仕事を休めないので出社する。正午、水便。2:20PM水便。心配になり、かかりつけの内科胃腸科に行く。診断はノロウイルス。3日間断食するように。下痢はウイルスを排除しようとする身体の免疫反応によるものだから気にせず、下痢止めは使わないほうが良いとのこと。胸焼けを抑える注射をされ、3日分の整腸剤、吐き気止めの薬がだされた。会社に戻る前にポカリスエットの500mlボトルを5本買った。医者から一時間にコップ一杯のペースでの水分の補給をするように言われていた。会社に戻ってからも一時間ごとにトイレに駆け込んだ。帰宅してから布団に包まった。夜になっても食欲がなく、妻が摩り下ろしてくれた半個分の林檎で充分だった。トイレに行きたくなるので何も口にしたくなかったが、多量の水便は体液の流出によるものだから水分の補給が必要だとの医師の話を思い出し、ポカリスエットは飲み続けた。体温38.6度まで上昇。翌朝も体調は変わらなかったが仕事を休むわけには行かなかった。朝は昨日の残りの林檎を齧った。少し食欲が戻ったようで、遅いお昼に少し粥を食べた。水便は相変わらずだった。残業して、帰宅すると妻に「豚しゃぶ、うどん」の夕食を作ってもらった。発病3日目の水曜日は仕事が休みで食欲もほぼ回復し、朝はパン、昼は出石蕎麦を食した。家でゆっくり休養したせいか、3PMを過ぎるころ、下痢も治まったので外出した。久々に小倉の町を歩きまわり、デパートで孫の誕生日のプレゼントを買った。会社勤めの妻にメールを送り、仕事が終わった妻とチャチャタウンで落ち合った。7PMに食事を堪能したあとレイトショーで「レ・ミゼラブル」を鑑賞した。今度は眼から水分を大いに失った。
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映画「個人教授」とランボルギーニ・ミウラ [車の絵]

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 私は高校生の頃、アクション映画が大好きだった。どういう風の吹き回しか、ある日ラブロマンスの「個人教授」を映画館で鑑賞した。高校生の男の子が年上の既婚女性に恋をして熱い仲となるが、程なく亭主の知るところとなり、自ら身を引くことで女性を守るというストーリーだった。大人の恋を知った純真な少年の悲哀と心の成長がラストシーンで伝わってきた。この映画に感動した私はフランシス・レイが作曲した映画主題歌のレコードを買い、飽きることなく聞いた。
 ところで、主人公の高校生と人妻の縁結びとなったランボルギーニ・ミウラは映画の封切から44年を経ても古さを感じさせない。カーデザインの普遍性が感じられる車だと思う。
 
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ポルシェ911カレラ(997型) [車の絵]

ポルシェ911カレラ997型.jpg                                                 先週、愛車アフリカツインの6回目の車検を受けた。片道3キロの通勤に使っているが、最近はロングツーリングの機会がないので、メーターの走行距離はまだ44000キロくらいだ。絶版車なので大事に乗れば少しはプレミアムがつくのではと期待しているが、エンジンが動くあいだはアフリカツインを手離すことはないだろう。
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マセラッティ450s1955年 [車の絵]

 一昔前の顧客で、当時流行のDINKSの御夫婦がいた。御主人はポルシェ・ボクスターで青果市場に通勤し、奥さんはマセラッティ・クアトロポルテで生保の営業をしていた。今は何に乗っているのだろう…。
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ダッジ・チャレンジャー1970年型 [車の絵]

 40年くらい前になるが、私が学生の頃に封切された映画「バニシング・ポイント」は主演男優よりも爆走するダッジ・チャレンジャーの方が私には印象に残った。2ドア・ハードトップクーペの外観に派手さはないが、どこか魅力的な車だった。
 数年前、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマン共演の「最高の人生の見つけ方」を妻と観に行った。   演技もストーリーも文句なしの良い映画だった。主演の二人が懐かしいダッジ・チャレンジャーとマスタングに乗って絡む場面は、予想もしなかった名車の登場に思わず興奮した。この二台は中年男性の憧れの車だから選ばれるべくして選ばれたのだと納得した。
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