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吉野ヶ里歴史公園 [風景画]

 1986年(昭和61年)から発掘調査が続いた佐賀県の吉野ヶ里遺跡が、1989年に大規模な環濠集落発見と全国に報じられ一般公開が始まった。その年の夏、兵庫から義母、義姉、姪、甥が北九州の我が家に遊びに来たので、雲仙へ旅行に行く途中に話題の吉野ヶ里に立ち寄った。
 遺跡は簡単な資料館と竪穴式住居がぽつんと建っているだけで、9歳から2歳までの6人の子供たちにはかめ棺のレプリカ人骨くらいしか興味が湧かなかっただろう。
 私は月に一度、仕事で吉野ヶ里のすぐ近くを通るのだが、先日、休み返上で出張した帰りに絵を描こうと水彩道具を携帯して吉野ヶ里を訪れた。 1991年に国の特別史跡に指定された遺跡が2001年に吉野ヶ里歴史公園として新たに開園したことを知らなかったのだが、29年前は無料だった駐車場料金310円と大人入園料420円を支払い、閉園時間の5時まで2時間しかないことを承知のうえで入園した。
 117ヘクタールの広大な敷地は念入りに巡れば一日はかかりそうで、すぐにスケッチポイントを探して絵を描きはじめた。4時30分、閉園が近づいている知らせがスピーカーから流れてきた。気がついたら園内に残っているのは私一人のようで、あせりながら着彩していった。ほどなくスクーターに乗った管理人が私に声を掛け、いよいよ閉園になるので、道具をかたづけ、帰路についた。

吉野ヶ里.jpg
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若松、軍艦防波堤 [風景画]

軍艦防波堤.jpg 
 大晦日に帰省した次男に、名古屋に戻る前に行ってみたい所を尋ねると、若松の軍艦防波堤を見たいとい
う。同じ北九州市内にありながら私は行ったことも聞いた事もなかった。
 二日しかない私の正月休みの貴重な二日目は午後から妻と娘と次男の4人で帝国海軍の痕跡を探訪することになった。
 自宅から車で40分、ナビのお蔭ですんなりと見つけることができた。

 軍艦防波堤とは━
 昭和23年9月、駆逐艦「柳」「涼月(すずつき)」「冬月」の3艘の船体部分が防波堤の代用に洞海湾の入り口に沈められた。その後の護岸工事により、「涼月」「冬月」は埋没してしまったが、「柳」は護岸上に甲板の形を見ることができる。

 軍艦防波堤の近くにいた数人の釣り人から、寒い中物好きな家族がいるものだという目で見られながら、記念撮影に勤しんだ。この後、遠見ケ鼻の夕景を堪能し、帰路にショッピングセンターで買い物をした。

 先週の金曜、私は仕事がオフだったので、バイクで再び軍艦防波堤を訪れた。大寒で、バイクのハンドルが取られるほどの強風の中、孤独で無謀なスケッチを始めた。玄海灘の荒波が護岸に打ち付ける光景から在りし日の駆逐艦の勇猛な姿が想像できた。

 
 「柳」……大正6年(1917)5月5日、佐世保海軍工廠で竣工した「桃」型二等駆逐艦。
     基準排水量755トン、全長85.85m、全幅11.6m、速力31.5ノット

 「涼月」…昭和17年(1942)12月29日、長崎造船所で竣工した「秋月」級超大型防空駆逐艦。
     基準排水量2701トン、全長132m、全幅11.6m、速力33ノット
     昭和20年(1945)4月、「大和」を中心とする沖縄特攻「天一号」「菊水」作戦に参加。
     直撃弾を受けて大破するも、微速後進で佐世保に帰還。 


 「冬月」…昭和19年(1944)5月25日、舞鶴海軍工廠で竣工した「秋月」級超大型防空駆逐艦。
     基準排水量2701トン、全長134.2m、全幅11.6m、速力33ノット
     昭和20年(1945)4月、「涼月」とともに沖縄特攻「天一号」「菊水」作戦に参加。  
     諸艦の生存者を救出後佐世保に帰還。
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遠見ヶ鼻 [風景画]

遠見ケ鼻.jpg 
今年も残り僅かとなったが、思い返せば短い一年だった。年始めの株式の暴落から続く景気の落ち込みで、会社の経営に四苦八苦しつつ年の瀬を迎えた。ストレスから来る慢性胃炎が景気の回復によって治ることを願っている。現役でいるかぎり仕事で苦労するのは避けられないのだろう。
 目を転じれば、楽しい思い出も多い一年だった。三人目の孫が誕生、妻の実家への旅行で子や孫が集合、娘の結婚式、夏に帰省した子や孫とキャンプ、名古屋まで応援に行った孫の運動会、妻との毎月の映画鑑賞、夫婦それぞれの誕生日、結婚記念日、妻との6年ぶりのタンデムツーリング…。いろいろ思い当たるところをみると、今年は良い一年となったようだ。
 来年も良い年となりますように。

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能古島(のこのしま)のコスモス [風景画]

 能古島.jpg

 井上陽水の「能古島の片想い」は昔からよく聴いていたが、その能古島に先月末、初めて行ってみた。
 私の住む北九州市内からバイクで高速道路を一時間走ると福岡市だ。さらに姪浜港からフェリーに乗船して10分で博多湾に浮かぶ小島に到着した。島のアイランドパークではコスモスが丁度見頃だった。

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曲里(まがり)の松並木 [風景画]

曲里の松並木.jpg
江戸時代、幕府は全国の街道沿いに松や杉を植樹して、街道の目印とし、旅人はその並木によって炎天や風雨を凌ぐことができた。長崎街道は小倉と長崎を結ぶ街道で、57里の間に25の宿場があった。昭和20年まで黒崎から次の宿場の木屋瀬(こやのせ)にかけて松並木が続いていたが、今は黒崎駅の南方に幅20~30メートル、長さ600メートルを残すのみで、昔の街道の面影を見ることができる。
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八代の水島 [風景画]

八代市、水島.jpg
先月、残暑の厳しい折、熊本県八代市へ往復630km、一泊二日のツーリングを決行した。仕事で長年つきあいのある会社が八代市内にあり、一度訪ねてみたかった。往路の英彦山、阿蘇山は天気に恵まれ絶景だった。八代で会社訪問を果たし、ついでにおすすめの観光スポットを尋ねると、熊本城や矢部の通潤橋を薦める。八代にはこれといった名所がないという。八代のホテルで得た情報からやっとの思いでたどりついたのがこの景色だった。


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南河内橋(めがね橋) [風景画]

先月末、桜に期待してバイクで河内貯水池へ出かけた。花はまだ蕾で、雲行きも怪しくなったので、スケッチの下書きを済ませて早々に引き上げた。結局、次の機会がないまま今年は花見の機会を逃してしまった。
 
河内貯水池・・・八幡製鐵所の拡張計画にともなう工業用水確保のため、大正8年(1919年)に着工、昭和2年(1927年)に完成。
 
貯水池にかかる五橋・・・北河内橋、中河内橋、南河内橋、猿渡橋、水無橋。(水無橋以外は近代化産業遺産)

南河内橋・・・主径間132m、径間60m、幅員3.6m、2連レンチキュラートラス鋼橋。橋脚とアバットは切石積コンクリート造。通称「魚形橋」または「めがね橋」と呼称。

南河内橋.jpg
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雨の高千穂峡 [風景画]

高千穂峡.jpg
 
昨年11月のハードなツーリングが今となっては懐かしい。神話のふるさと「高千穂」を、次回は妻を同伴してゆっくり観光したいな。
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エンデューロレースのような二日間の旅 [風景画]

 先月半ば、40日ぶりの休みをとって一泊二日のツーリングに出かけた。目的地は神話のふるさと、宮崎県の高千穂だ。出発当日は予報どおり朝から雨模様で、お昼の休憩に寄った阿蘇の人気観光スポット「大観峰」ではバイクは私一人で、他に普通車が4台しかなかった。視界50メートル、強風の雨の中、阿蘇のカルデラ盆地を南に抜けた。高千穂に着いても雨は降り続き、レインウエアを着たまま、観光地巡りをした。翌日、雨足がさらに激しくなる中、2時間あまり林道を走り竹田市に抜けた。視界の開けない久住高原経由で日田市まで来たところでお昼には遅い食事休憩をした。帰りは耶馬渓の紅葉を楽しむ予定だったのを変更して、まっすぐ帰ることにした。レインウェアやグローブの内まで雨が染み、指は寒さで痺れて方向指示器を操作するのも難儀だった。英彦山にある国民宿舎までたどり着いたときは限界だった。ここで宿泊しても翌日の出社時間には何とか間に合いそうだった。早くお風呂に入って冷え切った体を温めたかった。荷物を抱えてクロークで宿泊を申し込んだ。しかし秋の観光シーズンのため平日にもかかわらず満室だった。
 気をとりなおして500円の入浴料を払い浴場へ向った。一時間後、気力がすっかり回復し、濡れたジャケットを着て家路についた。二日間の走行距離494km。エンデューロレースのようなツーリングだったがアフリカツインにぴったりだった。
 (用意したスケッチ用具は使う機会がなかった。絵は9月に阿蘇を訪れたときのもの。)
阿蘇山レベル3.jpg
大観峰.jpg
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休日出勤したついでに念願のスケッチ [風景画]

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わが社の屋上から数十メートル先に見える三宜楼(サンキロウ)は門司港の山の手に昭和6年に竣工したかつての料亭だ。延床面積1200㎡、木造三階建の大規模建造物で、今は北九州市が所有し、昨年から公開を始めた観光スポットだ。二階部分に64畳+舞台16畳の通称「百畳間」の大広間が見所のようだが、私はまだ入ったことがない。一度スケッチをしたかった。
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