So-net無料ブログ作成
検索選択
バイクの絵 ブログトップ
前の10件 | -

リトルホンダ [バイクの絵]

リトルホンダ.jpg

 私が中一の頃、馴染みの自転車に見慣れない商品が入荷した。自転車なのにエンジンが付いている。おっさんがよく乗っている原動機付自転車、いわゆるバタバタと違い、ミテクレが良い。しかし29800円の価格は子供には手が届かなかった(当時の大卒初任給24900円)。少し興味があったが免許がなければ乗れないと聞いて諦めがついた。
 高校生活を始める頃、CB750をはじめ、バイクの名車が次々とデビューした。子供や女性に受けそうなリトルホンダは私には最も乗りたくないバイクとなっていた。高一で自動二輪の免許を取得し親父の会社名義のCB350に夢中になった。
 そんなある日、映画の中で忘れていたリトルホンダに再会した。フランス映画「個人教授」でルノー・ベルレー扮する主人公の愛車としてパリの街中で活躍するのを見てお洒落なリトルホンダを見直した。
nice!(7)  コメント(2) 

リトルホンダ下絵 [バイクの絵]

 私が小6の頃、近所の自転車屋に行くのが楽しみの一つだった。そこで買ったドロップハンドルサイクリング車のメンテナンスに通ったのだが、ある日、店の親父が御代はいつでもいいからと私の愛車に入荷したばかりのスピードメーターを取り付けた。愛車がさらに格好よくなり、私は嬉々として乗り回し、速度が見える楽しさを知った。走り疲れて家に帰り、事の成り行きを母に話して支払いの承諾を得ようとした。しかし母は冷静だった。「すぐに自転車屋さんに行って(メーターを)外してもらいなさい。」気まずそうに戻ってきた私をみて自転車屋の親父は嫌な顔をせず、あっという間に作業を済ませた。親の承諾も得ずに子供相手に商売をしたことが許される行為でないことを子供の私は解らなかった。
 それからも何もなかったように私の自転車屋通いは続いた。
リトルホンダ下絵.jpg
nice!(6)  コメント(2) 

モトグィッチ・ルマン1978年型 [バイクの絵]

モトグィッチ、ル.・マン1978.jpg
 
 実は私の車やバイクの絵はコレクションのミニカーを見ながら描いています。バイクの場合1/24スケールではディテールに限界があり、ネットで画像を探して参考にしますが、どうしても分からない部分が残ります。そんな時、実車を見れないもどかしさを感じます。
 この絵を仕上げる時もそうでした。モトグィッチは稀少なバイクで、実車は見たこともすれ違ったこともありませんでした。
 先日、会社の車の助手席に乗っていて、信号停車中にサイドウインドの外をみると、白いモトグィッチが並んでいました。初めて見た実車に感激し、サイドウインドを開けてよく見ようと思った矢先に信号が青になり、モトグィッチは快いエンジン音を残して視界から遠ざかりました。ライダーは30代に見えましたが、数あるバイクの中でモトグィッチを愛車に選ぶとはなんて渋いのでしょう。もう一度拝みたいものです。

nice!(13)  コメント(2) 

cb72 [バイクの絵]

cb72.jpg

細部に拘ると先に進まないので、妥協しました。これで完成です。
nice!(9)  コメント(2) 

CB72下絵 [バイクの絵]

仕事に振り回されてゆっくり絵を描く時間がありません。マイブログが広告を貼り付けら放題なので、下絵だけでも投稿することにしました。製作過程を見ていただけたらと思います。

CB72下絵.jpg

nice!(4)  コメント(2) 

ハーレーFLHTCエレクトラグライドクラシック1980年式 [バイクの絵]

アメリカンよりはオフロードやロードスポーツが好きなのだが、例外的にハーレーには憧れる。風格と歴史を感じる唯一のバイクだ。いつかチャンスがあれば゙乗ってみたい。
ハーレーFLHTC.jpg
nice!(6)  コメント(0) 

白馬のようなDT1 [バイクの絵]

YAMAHA DT1.jpg
私が高2の夏休みの頃のことだ。家で寛いでいると、突然耳をつんざくようなエンジン音が鳴り響いた。
小高い丘に家が立ち並ぶ古い住宅街の、頂上へと続く数百段の石段の上り口に私の家があった。
何が起きたのかと窓に駆け寄り外を見ると、白いバイクが跳ねながら階段を駆け上がっていった。
翌日大阪ナンバーの白いDT1が上り口の路上に停めてあった。DT1のライダーはツーリングがてら九州の親戚を訪ねてきたようだが、花月園の階段をバイクでのぼった最初で最後の記録を残して去っていった。

DT1データ
1967年、第14回東京モーターショーにてデビュー。精悍なアップマフラー、大径のブロックタイヤ、水滴型のタンク、コンパクトな246cc単気筒2サイクル5ポートエンジン等々話題を集めた。
最高出力18.5馬力/6000回転、最高速度120km/h、5段変速、車重109kg、タイヤ前3.25-19-4PR後4.00-18-4PR
nice!(12)  コメント(6) 

スズキRM250 [バイクの絵]

 私のバイクデビューは高1の夏だった。叔母のダンナが中古の原チャリを譲ってくれたのを、無免許で乗り回した。クラッチのあるバイクだったが、中学の頃からトラックの運転を覚えていたので、すぐに乗りこなせた。
 まるで自転車に乗るような気軽さで、バイクに興味を持つ同級生たちにもバイクの面白さを広めた。
 しかし、ある日法の裁きを受ける日が来た。
 ライトが切れて無灯火のバイクの後ろに、二つ年下の弟を乗せて、夜の町を静かに流していたとき、パトカーと遭遇して捕まってしまった。当時、未成年者に罰金はなかったが、家庭裁判所に出頭しなければならなかった。
 私は、一応、地元の進学校に通っていたのだが、バイクの免許をとる不届き者はいないと思ってたのかどうか、高校は免許取得が禁止されてなかった。16歳になったこともあり、学校をさぼって原付の免許を取りに行った。
 無免許運転の後始末で、後日家裁に呼ばれたとき、堂々と自分のバイクに乗って行った。
 さんざん説教されたあとで、裁判官に今日はどうやって来たのか聞かれたので、免許を取得したのでバイクに乗ってきたと誇らしげに答えた。「そんなばかな。取れるわけがない。免許証を見せなさい。」
 真新しい免許証を手にすると、裁判官は真っ赤に怒って、どこかに電話をかけた。おそらく免許試験場だったのだろう。受話器の向こうの人間を激しく叱責していた。私の免許は取り上げられなかったが、高1の3学期に自動二輪の免許を取得しようと、運転免許試験場に望んだ時、訳もなく何度も落とされ、5回目のチャレンジで、やっと合格することができた。きっとそれが無免許運転の代償だったのだろう。
スズキRM250.jpg

nice!(14)  コメント(4) 

ヤマハYZR500ウェイン・レイニー 1991年 [バイクの絵]

名古屋に暮らす長男は、最近、浜松に出張することが多いという。彼も私に劣らずバイク好きで、ゼルビス、CBR600R、XR230を乗り継いできたが、今は幼い二人の子供と愛妻のために、バイクを降りている。それでも、バイクへの思いが絶ちがたいようで、浜松に行ったおりには、ヤマハのバイクミュージアムを堪能しているようだ。一度も行ったことがない私は息子が羨ましい。
ヤマハYZR500ウエイン.レイニー1991.jpg
nice!(15)  コメント(4) 

四国ツーリングの思い出 34 [バイクの絵]

 荷物の整理をして早めに床についた。ほろ酔いと軽い疲労感からすぐに眠りについた。夜中にふと目覚めて窓の外を眺めた。夢の中のような美しい光景が広がっていた。月夜に照らし出された穏やかな黒鉄色の大海原。温かいオレンジ色の明かりを窓から放ちながら、カタツムリのように静かに洋上を滑るフェリー。窓を開けて、幻想的なジオラマのような世界を堪能したあと、ふたたび熟睡した。
 空が白んできたので起きると時計は6時をまわっていた。
 爽やかな目覚めだった。今なら足摺岬から日の出を拝めると思ったが、宿代を踏み倒すつもりではと思われそうなので、外出は諦めた。日課の気功体操を終えてから荷物の整理をした。7時からの朝食が待ち遠しかった。食事を終えたらすぐに出発できるように宿泊代の支払いを済ませておこうと、フロントへ行ったが皆で朝食の準備をしているらしく誰もいない。
 7時になって食堂へ入ると、既にあちこちのテーブルで食事をしていた。自分の席に着くとすぐに料理が運ばれてきた。新聞販売店の親父が話しかけてきた。「どちらからです。」「北九州です。」福岡県人同士で気安かった。今日は石鎚山に行くのでハードな一日になると嬉しそうに話していた。
 食事を平らげ自分の部屋に戻って身支度を整えた。フロントに降りると今度は主人が待機していた。まだ計算が出来ていないようで、少し待たされた。「お気をつけていってらっしゃい。」「御世話になりました。」
 玄関から出ると、朝の空気が清々しい。アフリカツインに荷物を積み込み、新たな一日のスタートに胸が高鳴った。
南阿蘇.jpg

前の10件 | - バイクの絵 ブログトップ