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若松、軍艦防波堤 [風景画]

軍艦防波堤.jpg 
 大晦日に帰省した次男に、名古屋に戻る前に行ってみたい所を尋ねると、若松の軍艦防波堤を見たいとい
う。同じ北九州市内にありながら私は行ったことも聞いた事もなかった。
 二日しかない私の正月休みの貴重な二日目は午後から妻と娘と次男の4人で帝国海軍の痕跡を探訪することになった。
 自宅から車で40分、ナビのお蔭ですんなりと見つけることができた。

 軍艦防波堤とは━
 昭和23年9月、駆逐艦「柳」「涼月(すずつき)」「冬月」の3艘の船体部分が防波堤の代用に洞海湾の入り口に沈められた。その後の護岸工事により、「涼月」「冬月」は埋没してしまったが、「柳」は護岸上に甲板の形を見ることができる。

 軍艦防波堤の近くにいた数人の釣り人から、寒い中物好きな家族がいるものだという目で見られながら、記念撮影に勤しんだ。この後、遠見ケ鼻の夕景を堪能し、帰路にショッピングセンターで買い物をした。

 先週の金曜、私は仕事がオフだったので、バイクで再び軍艦防波堤を訪れた。大寒で、バイクのハンドルが取られるほどの強風の中、孤独で無謀なスケッチを始めた。玄海灘の荒波が護岸に打ち付ける光景から在りし日の駆逐艦の勇猛な姿が想像できた。

 
 「柳」……大正6年(1917)5月5日、佐世保海軍工廠で竣工した「桃」型二等駆逐艦。
     基準排水量755トン、全長85.85m、全幅11.6m、速力31.5ノット

 「涼月」…昭和17年(1942)12月29日、長崎造船所で竣工した「秋月」級超大型防空駆逐艦。
     基準排水量2701トン、全長132m、全幅11.6m、速力33ノット
     昭和20年(1945)4月、「大和」を中心とする沖縄特攻「天一号」「菊水」作戦に参加。
     直撃弾を受けて大破するも、微速後進で佐世保に帰還。 


 「冬月」…昭和19年(1944)5月25日、舞鶴海軍工廠で竣工した「秋月」級超大型防空駆逐艦。
     基準排水量2701トン、全長134.2m、全幅11.6m、速力33ノット
     昭和20年(1945)4月、「涼月」とともに沖縄特攻「天一号」「菊水」作戦に参加。  
     諸艦の生存者を救出後佐世保に帰還。
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コメント 2

老年蛇銘多親父(HM-Oyaji)

冬月が、今も防波堤として働いているとは。

この船、戦前海軍の最終型の駆逐艦 秋月型の1隻でなのですが、戦艦大和の最後を看取っただけでなく、被弾してもそれが不発弾であったり、魚雷が当たるもの船艇を掠め通り過ぎてしまったため損傷を免れたなど、戦時中日本海軍の艦船の中では、もっとも幸運に恵まれた艦船なのだそうなのです。

そして、戦後は外地に遠征した兵士の帰還に従事し大活躍した。

そんなことで、この船、そのシルエットも含め私の大好きな船で、それが今も防波堤の一部となって人々を守っているなんて。

なんとも感動です。
その幸運が人々の暮らしを、きっと最後まで守り通すのではと思います。



by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2017-02-26 22:00) 

yuzman1953

老年蛇銘多親父さん、コメントありがとうございます。
次男のお蔭で地元の貴重な遺跡を知ることができました。
31歳独身の次男は寺社や遺跡巡りで休日を費やしているようで、親としては早く伴侶を見つけて欲しいです。
by yuzman1953 (2017-03-02 10:57) 

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