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八代の水島 [風景画]

八代市、水島.jpg
先月、残暑の厳しい折、熊本県八代市へ往復630km、一泊二日のツーリングを決行した。仕事で長年つきあいのある会社が八代市内にあり、一度訪ねてみたかった。往路の英彦山、阿蘇山は天気に恵まれ絶景だった。八代で会社訪問を果たし、ついでにおすすめの観光スポットを尋ねると、熊本城や矢部の通潤橋を薦める。八代にはこれといった名所がないという。八代のホテルで得た情報からやっとの思いでたどりついたのがこの景色だった。


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老年蛇銘多親父(HM-Oyaji)

地元の人が、ここは見るべきもの何もないと言っている場所でも、それは、地元の人があまりにも日常過ぎているため感じていないだけで、他国者が見ると、非常に良い所だということよくありますよね。

私のよく行く茨城県の土浦あたりもそうしたところで、今は、時間が出来ればそうした場所を探し歩くようにしています。

絵に描かれた景色、これは東京近郊ではちょっと見られない。

この落ち着いた雰囲気の海岸?で、釣りをしながら一日ボーッとしながら過ごしてみたいなんて気分になりますね。






by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2016-09-29 17:53) 

yuzman1953

老年蛇銘多親父さん、こんばんは。
宿泊したホテルの朝食バイキングの賄いのおばさんが、「八代の見所ねえ…。
名前は知らないけど、海の中に祠を祭ってるところがきれいよ。」と教えてくれたことを手がかりに途中で出会った4人に尋ねながら一時間かけて探し出した場所が「水島」でした。水島の由来を参考までに記します。
「球磨川の河口に位置する海抜約11メートル、東西93メートル、南北37メートルの小島。日本書記に景行天皇が芦北の小島に留まって食事をされたとき、飲み水がなかったので小左(オヒダリ)という者が神に祈りを捧げたところ、たちまち清水が崖のほとりから湧き出したので、その水を汲んで天皇に差し上げた。このためこの小島を水島というようになった。」
by yuzman1953 (2016-09-30 01:37) 

老年蛇銘多親父(HM-Oyaji)

水島という地名を聞いて何か記憶があるなと思っていたのですけど。

おかげで、景行天皇の九州征伐の跡、これが日本書紀に書かれていたこと思い出しました。

景行天皇の九州征伐の跡というのは、九州各地に残っている(たいがい地元の人でも、どういう場所か知らないということが多いのですけど)、私も、宮崎の古くからある、とある会社の事務所のお庭に小さな祠があったので、そこの社長にこれはなんですかと尋ねたところ、景行天皇ご陣所跡だと教えられ、さらに代々社長自身が神主と祀っているのだと聞いて、驚いたことがあります。

景行天皇の九州征伐は学者の間では、架空の出来事と見る向きもあるようですけど、これだけの痕跡が今残っていることを考えると、4世紀ごろ大和朝廷が九州に何らかの影響を及ぼしていたのは間違いないと思えてきてしまいます。

by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2016-10-05 07:04) 

yuzman1953

老年蛇銘多親父さん、こんばんは。
私は大学入試の時、日本史を選択科目にしていたのですが、景行天皇の名前はまったく記憶にありませんでした。45年前の日本史サブノートを引っ張りだして景行天皇を探しましたが日本史上ではマイナーな人物だったのでしょうか、どこにも記述がありませんでした。老年蛇銘多親父さんに教えてもらうまで、水島の説明書きは胡散臭い印象でしたが、今は史実だったかもしれないと思っています。
by yuzman1953 (2016-10-30 00:29) 

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