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久々の平尾台 [風景画]

平尾台2度目スケッチ.jpg

 休みの日、近場で楽しそうなスポットを古いツーリングマップで探していると、「ダート本格派3.5KM、味見峠」に目が留まった。さっそくフル装備をして味見峠に向かった。国道322号線の田川郡香春町から京都郡みやこ町方面へ抜ける福岡県道64号線上にあるのだが、36年前に味見トンネルが開通して以来、旧道は使われなくなり、今はみやこ町方面からは通行止めとなっている。そうとは知らず、アフリカツインで気持ちよくダートを突き進んでいると道路が半分崩れ落ち、道路際の雑草が生い茂って崖と道の境界が定かでなくなり、ついに巨大な蜘蛛の巣が行く手を阻んだ。バイクを降りて、蜘蛛の巣を払い除け再びバイクを走らせた。路面の雑草の底はガレ場でハンドルを取られる方向が予想できない。道が獣道のようになってきたので、引き返すことにした。なんとか方向転換するスペースが見つかったが、そこには大量の自転車のタイヤが捨てられていた。四万十川源流をバイクで走ったときに軽自動車が山の中に打ち捨てられていた情景を思い出した。
 林道の入り口に戻り、快適な味見トンネルを通って、みやこ町に抜け、平尾台に登った。
 高原はバイクの溜り場だった。
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角島大橋 [風景画]

 八月の終わり、風景画を描くのに適した横長のスケッチブックを携えてツーリングに出かけた。
 表紙に”LANDSCAPE"と印刷されたその画帳は前に妻が買ってくれたものだが、ツーリングバッグに収まらなくて長い間使わずにいた。七月に川尻岬に行った帰りに寄ってみたものの、強風のためにあきらめた角島をこれに描いてみようと思った。快晴ではないが天気も良く、画材を詰め込んだリュックを背負って意気揚揚とバイクを走らせた。
 角島は大勢の観光客で賑わっていた。静かに絵を描ける景色の良いところを求めて角島を走りまわったりバイクを降りて丘を登ったりしたが、島内にはみつからず、山口県の観光案内で必ず使われる角島大橋を描くことにした。出入りの多い駐車場の端に陣取り、スケッチに取り掛かった。そして鉛筆と消しゴムを忘れたことに気がついた。モチベーションが消えかけたが、デッサン無しに絵の具で一気に描いていった。ツーリング時に携帯する水彩画セットにはスポイト式のタンクがついたプラスチックの万能筆が一本しかないので細部を描くのに鉛筆は必携なのだが、一発勝負でざっくり描くのも楽しかった。

角島大橋.jpg
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高住神社参道 [風景画]

英彦山高住神社参道.jpg
8月に入って最初の公休に英彦山へツーリングに出かけた。英彦山川流域の所々に7月の九州北部豪雨のつめ跡が残っていた。川原に溜まった大量の流木の処理にはまだ時間がかかりそうだ。のどかに流れる川の傍に柱と屋根しか残っていない家があったが、当時住んでいた人は生きた心地がしなかっただろう。
 
英彦山神社の奥の院へは行ったことがなかったので登山道を探しまわったが、どうやらバイクで登れる道はないようだ。真夏の登山で汗をかくよりは涼しい所で過ごしたかった。高住神社の登山口の木陰に腰をおろしスケッチを始めた。そこへ中学校の野外教室の一団が教師に引率されて下山してきた。私の前を通り過ぎる際、口々に「こんにちは。」と元気に声をかけてくれるが私の挨拶の声は次第に小さくなっていった。生徒たちに尋ねると英彦山を縦走してきたところで、奥の院から今いる所までの所要時間は二時間くらいだという。生徒たちは迎えに来たバスに乗り込んで去っていった。
登山はあきらめて正解だった。
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川尻岬 [風景画]

川尻岬.jpg
7月末に山陰へツーリングに出かけた。絵に描きたくなる景色を探しているうちに、川尻岬に辿り着いた。長門市油谷(ユヤ)の向津具(ムカツク)半島の北にある、本州北西端の岬だ。炎天下、強風にめくれるスケッチブックを左手で抑えながら昼食抜きで、ひたすら絵を描く私はまるで修行者だった。岬の西側は波が穏やかなのに東側は白い波が荒々しく断崖に打ち寄せていた。
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リトルホンダ [バイクの絵]

リトルホンダ.jpg

 私が中一の頃、馴染みの自転車に見慣れない商品が入荷した。自転車なのにエンジンが付いている。おっさんがよく乗っている原動機付自転車、いわゆるバタバタと違い、ミテクレが良い。しかし29800円の価格は子供には手が届かなかった(当時の大卒初任給24900円)。少し興味があったが免許がなければ乗れないと聞いて諦めがついた。
 高校生活を始める頃、CB750をはじめ、バイクの名車が次々とデビューした。子供や女性に受けそうなリトルホンダは私には最も乗りたくないバイクとなっていた。高一で自動二輪の免許を取得し親父の会社名義のCB350に夢中になった。
 そんなある日、映画の中で忘れていたリトルホンダに再会した。フランス映画「個人教授」でルノー・ベルレー扮する主人公の愛車としてパリの街中で活躍するのを見てお洒落なリトルホンダを見直した。
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リトルホンダ下絵 [バイクの絵]

 私が小6の頃、近所の自転車屋に行くのが楽しみの一つだった。そこで買ったドロップハンドルサイクリング車のメンテナンスに通ったのだが、ある日、店の親父が御代はいつでもいいからと私の愛車に入荷したばかりのスピードメーターを取り付けた。愛車がさらに格好よくなり、私は嬉々として乗り回し、速度が見える楽しさを知った。走り疲れて家に帰り、事の成り行きを母に話して支払いの承諾を得ようとした。しかし母は冷静だった。「すぐに自転車屋さんに行って(メーターを)外してもらいなさい。」気まずそうに戻ってきた私をみて自転車屋の親父は嫌な顔をせず、あっという間に作業を済ませた。親の承諾も得ずに子供相手に商売をしたことが許される行為でないことを子供の私は解らなかった。
 それからも何もなかったように私の自転車屋通いは続いた。
リトルホンダ下絵.jpg
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時の過ぎ行くままに。 [風景画]

冬の旭湯.jpg
 私が一歳の時から九歳までお世話になった「旭湯」。十数年前に取り壊され、今は和菓子店が建っている。
 もしも旭湯が保存されていたら、きっと門司のレトロ観光の名所となっていたに違いない。
 旭湯の創業者、木下亀市(故人)は大工の棟梁で建設会社を経営していた。昭和10年、銭湯を創めるに際し、北海道から沖縄まで銭湯巡りをしてアイデアを練った。完成した銭湯は木造ながらも外観をスクラッチタイルで覆ったモダンな洋風建物だった。大工の棟梁だけに、建築材料には拘りがあったようで、床は桜材、浴室の床や浴槽は御影石、壁面は大理石張りで、番台は自ら手がけた。楕円形の大浴槽と二種類の薬湯を楽しめる小浴槽を二つ、男湯と女湯それぞれに配置した。今のスーパー銭湯の元祖ともいえよう。門司港は日本と大陸を繋ぐ国際港であり関門海峡は交通の要衝だったので、太平洋戦争時、アメリカ軍から度々激しい空襲を受けた。
 その戦火を潜り抜けた貴重な銭湯が消えてしまったことが残念だ。
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若松から見る若戸大橋 [風景画]

久岐の浜から若戸大橋を望む.jpg

洞海湾で分断された戸畑と若松を結ぶ若戸大橋。
橋の戸畑側は昔から工業地帯として栄えてきたので混沌とした感があるが、若松側はウオーターフロント開発によって、港とモダンな中高層住宅が調和した、落ち着いたリゾートの趣きがある。
洞海湾に突き出た荷揚げ桟橋に係留されたタグボートの数は国際港の門司港より多い。
地元の遊歩道としても親しまれている荷揚げ桟橋の突端に座り、数時間スケッチを楽しんだ。
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到津の森公園 [風景画]

到津の森公園.jpg
 私が子供の頃、到津(イトウヅ)遊園地はハレの場所だった。北九州市で唯一の動物園であり、遊園地だったので、子供が喜ばないわけがない。しかし市内にあるとはいえ私の住んでいる地域からは、車で小一時間かかるので、特別の行事でもなければ訪れる機会がなかった。私の初訪問は幼稚園の歓迎遠足会だったと思うが、家族で揃って出かけた記憶はあまりない。
 結婚してからは、三人の子供が幼い頃は度々行ったが、子供が成長するにつれ足が遠のいた。
 施設の老朽化、少子化の影響に加え1990年に隣の八幡東区に開業したスペースワールドと競合して経営が悪化し、2000年5月31日に閉園してしまった。私が最後に行った思い出は、二男と二人で乗った蛸をモチーフにした遊具で非情に怖い思いをした事だ。
 その遊具が動き始めてすぐに幼児には酷だと後悔して一刻も早く終了することを願ったが、遊具が二人きりの貸切状態で、サービスのつもりなのか係員のお叔父さんが通常の運転より長く激しく作動させたので、生きた心地がしなかった。
 到津遊園地は運営が北九州市に移管されたのち、2002年に到津の森公園として開園した。
 今日二十数年ぶりに園を訪れたが、猿山に昔の面影が残っていて懐かしかった。
 
 
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吉野ヶ里歴史公園 [風景画]

 1986年(昭和61年)から発掘調査が続いた佐賀県の吉野ヶ里遺跡が、1989年に大規模な環濠集落発見と全国に報じられ一般公開が始まった。その年の夏、兵庫から義母、義姉、姪、甥が北九州の我が家に遊びに来たので、雲仙へ旅行に行く途中に話題の吉野ヶ里に立ち寄った。
 遺跡は簡単な資料館と竪穴式住居がぽつんと建っているだけで、9歳から2歳までの6人の子供たちにはかめ棺のレプリカ人骨くらいしか興味が湧かなかっただろう。
 私は月に一度、仕事で吉野ヶ里のすぐ近くを通るのだが、先日、休み返上で出張した帰りに絵を描こうと水彩道具を携帯して吉野ヶ里を訪れた。 1991年に国の特別史跡に指定された遺跡が2001年に吉野ヶ里歴史公園として新たに開園したことを知らなかったのだが、29年前は無料だった駐車場料金310円と大人入園料420円を支払い、閉園時間の5時まで2時間しかないことを承知のうえで入園した。
 117ヘクタールの広大な敷地は念入りに巡れば一日はかかりそうで、すぐにスケッチポイントを探して絵を描きはじめた。4時30分、閉園が近づいている知らせがスピーカーから流れてきた。気がついたら園内に残っているのは私一人のようで、あせりながら着彩していった。ほどなくスクーターに乗った管理人が私に声を掛け、いよいよ閉園になるので、道具をかたづけ、帰路についた。

吉野ヶ里.jpg
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